ISASニュース 1998.5 No.206

第4回 こんな工夫がいっぱい
PLANETーBの衛星システム

中谷一郎  

 火星探査機 PLANET-Bの科学的なねらいや期待される観測上の成果は,このシリーズの別稿に解説があります。一方,これと並んで工学的にも,このミッションは大きな意義を持っています。我が国初の惑星探査機として,今後,日本の宇宙科学が深宇宙に展開していくために必要な,いくつかの新しい工学技術の確立を狙っているのです。

 これらの技術には,例えば,軌道制御,超遠距離通信,自律運用システム,高性能液推進系,軽量・高機能な搭載機器などが含まれます。中でも,搭載機器の小型・軽量化は,最も大きな課題の一つでした。比較のため,諸外国の火星探査機を見てみましょう。アメリカのバイキングが,3.4トン,マーズオブザーバーが,2.6トンのヘビー級,画期的な軽量化を図ったマーズパスファインダでも,トンと,言わばミドル級,ロシアのフォボスやマーズ96に至っては,トンを越すスーパーヘビー級です。それに対して,我が PLANET-Bは,ナント540kgと,フェザー級です。ボクシングで言えば,フェザー級とヘビー級が同じリングに上ることになります。しかし,軽くても狙う科学成果は,世界チャンピオン級という方針を貫くこととしたため,減量に随分苦しみました。

  PLANET-Bの基本形状にも軽量化の工夫がされています。下の図をご覧下さい。姿勢安定方式としては,スピン型を採用して制御系を簡素化し,地球との通信に必要な高利得アンテナをスピン軸方向に置きます。このアンテナを地球方向に向け,しかも,太陽電池パドルを太陽方向に向ける必要があります。幸い火星から視たとき,地球と太陽方向の成す角は,最大でも45°の範囲にあります。このため,±0.7°という鋭い指向特性を持つアンテナを地球に向けても,太陽電池には十分な光が当ります。この形状を用いることにより,アンテナや太陽電池パドルを衛星本体に対して回転させるメカニズムを省くことが可能になり,重量の節約と信頼性の向上を達成しています。

 構造・材料にも新しい技術を開発し,軽量化を図っています。例えば,高利得アンテナの鏡面は,炭素繊維強化樹脂(CFRP)を,軸織と呼ばれる特殊な手法で織り上げてあります。また,推進系のヘリウムタンクは,1cm2当り250kgの高圧に耐え,且つ,極度の軽量化を図るため薄いチタン合金で作り,その周囲を炭素繊維強化樹脂で覆うという方式を導入しています。

 この他,軽量化に寄与するバス系の新技術としては,水素吸蔵合金を用いた電池,17%の高効率太陽電池,DRAMによる半導体データレコーダ,軽量分散形のコンバータ,エレクトロニクスの新しい基板材料および実装手法の導入などの例が挙げられます。

 軌道設計に関して言うなら,打上げ後,地球の引力圏を脱出するまでの約5.5カ月間に,月スイングバイを回,地球スイングバイを回行うというユニークな方式も,搭載推進剤の重量軽減を狙ったものです。

 これらの技術は,文章にすると,数行ですんでしまいますが,一つ一つの技術開発の裏には(文学的な表現をお許し頂けるなら),担当者達の涙と汗の試行錯誤を含む長いドラマが隠されているのです。 PLANET-Bで開発した軽量化技術は,今後の科学衛星設計の原点となる一つの雛型を創り出したと言えましょう。


 話題を変えて,自律運用システムのことを御紹介しましょう。地球と火星の間の距離が遠いため,電波の往復に随分時間がかかります。時期によっては,電波伝播遅れが往復40分を越え,地球からの直接的なリモートコントロールが不可能です。また,軌道上で最も複雑な運用を行う回の時期(地球の引力圏から脱出するときと,火星周回軌道に投入するときの軌道・姿勢運用)には,搭載アンテナが地球方向から外れた向きになるため,地球からのリアルタイムの監視と制御が出来ません。さらに,「合」と呼ばれる数週間は, PLANET-Bが,地球から視て太陽の反対側に位置するため,通信が途絶し,探査機が放置されます。このように PLANET-Bは,地球からの直接の世話なしに自律的に生きていくため,かなり賢く設計してあります。

 部分的な例を紹介しただけで紙数が尽きましたが, PLANET-Bは,工学の立場からも,地味ではあるが極めてチャレンジングな技術の集大成であることをお分り頂ければ幸いです。

(なかたに・いちろう)
<PLANET-B打上げまで あと2ヵ月>


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