金星電離圏

阿部琢美(JAXA

 

地球以外の惑星で、熱圏および電離圏が最も研究されてきたのは金星でしょう。その観測データの多くはPioneer Venus Orbiter(PVO)によるものです。この探査機は1978年から1992年までの14年間にわたって観測を続けました。

 

1.      電離源とイオン組成

金星の昼側における電離源は太陽からのEUV放射で、これによって引き起こされる光電離のピークは金星表面から約140 km付近にあります。この高度での中性大気粒子はCO2が支配的で酸素原子(約10-20%)がそれに続きます。CO2が支配的なため、初期には電離圏における主要イオンもCO2+であろうと予想されていましたが、直接観測でデータをとる前に速い化学反応によってCO2+とO2+になるであろうと考えられました。電離度のピークが存在する120-200 kmの領域での主なイオンに影響を与える化学反応としては次のようなものが挙げられます。

CO2  + hν  CO2+ + e                                                         (1)

CO2+ + O     O2+ + CO                                                        (2)

  O+ + CO2                                                         (3)

                       O+   + CO2    O2+ + CO                                          (4)

                       O2+  +  e     O + O                                               (5)

 

最後のO2+の解離再結合はイオンの主な消滅過程です。金星大気中の主なイオンの生成・消失過程を図1に示します。昼側電離圏におけるイオン密度(測定値と計算値)を図2に示しますがこれから、1)イオン密度の総和のピークは140km付近にある、2)主なイオンはO2+、3)CO2+は量的には少ない、4) 200kmにピークをもつO+はこれ以上の高度で主要なイオンとなる、ということがわかります。図からこの他にも多くのイオンが存在することがわかりますが、これらは様々な光化学反応による(それらのうちのいくらかは準安定ですが)ものです。

 

2.      イオン密度のプロファイル

前に述べたように、支配的なイオンの消失過程はO2+の解離再結合です。これと高度180km以下で主要なイオンがO2+である事をあわせて考えると、トータルのイオンとエレクトロンの消失割合は次の式で表されることになります。

                    Li = kd ni2                                                                    (6)

ここで、kdは解離再結合率、niはトータルのイオン密度です。O2+の解離再結合率は電子温度に依存します。化学反応が支配的な高度約180km以下の領域では生成率と消失率を等しいとおいてイオン密度・電子密度は次のように表されます。

ni = ne = 308 Pe0.5 Te0.35                                                  (7)

ここでPeはトータルの電離生成率、Teは電子温度です。電子密度は光化学過程に支配された領域でも電子温度に依存します。電子密度データから中性大気温度についての情報を得ようとする過去の試みではこの事実を見落としていたため、誤った結論を導いていました。

化学過程が高度約180km以下で支配的であるという事実は、昼側電離圏のピークにおける電子密度が太陽天頂角の関数としての変化は単純なチャップマンの理論(それは(cos χ)0.5で変化することを意味する)により導かれる値に近いことを意味します。地球電離圏におけるF2層とは異なり、金星電離圏のピークは生成率の極大から生じることに特徴があります。

電子密度ピークの太陽活動周期変化は、単純なChapman理論によりF10.7から予想される値とは異なっています。これは別に驚くことではありません。なぜならF10.7は真の電離束と中性大気の密度と温度の太陽活動による変化を結びつける大雑把な尺度に過ぎないからです。

更に再結合率は電子温度(それは太陽活動度に依存する)の関数でもあります。Kliore[1989]は観測で得られた115本の電子密度プロファイルへのフィッティングによって、昼側電子密度ピークがF10.7と太陽天頂角の関数として次のように表される事を見つけました。

ne,max(F10.7, χ) = (5.92±0.03)×105 (FEUV/150)0.376(cos χ)0.511              (8)

ここでF10.7は波長10.7cmの太陽電波束を金星の位置で補正したものです。

Chapman理論から予想されるように電子密度ピークの高度は太陽天頂角に伴って上昇するわけではなく140km付近で一定です。ピーク高度の不変性は太陽天頂角に応じて中性大気が沈み込む効果によるものです。高度200 km以上では化学反応の時定数が長くなるため、粒子の輸送プロセス(拡散やプラズマのドリフトによる)が卓越してきます。

 

3.      電離圏の構造

金星は固有磁場をもっていませんが太陽風の動圧が大きい(〜100 nT)時、滲み込んだ磁場が水平成分として電離層で観測されることがあります(図3に例を示す)。電離層が磁化されていない場合であっても、小さなflux ropeが存在することがあります。このような状況では(誘導磁場が大きい場合は別ですが)プラズマは水平方向、垂直方向、ともに自由に動けます。太陽直下の電離層中のイオン・電子密度の垂直分布は主に垂直方向の拡散によって決まると考えられています。これに対し、水平方向のプラズマの流れは太陽天頂角の大きなところで支配的になります。イオン速度の測定によれば、水平方向のプラズマの速度は高度と太陽天頂角とともに増して、ターミネータ付近では2, 3 km s-1、夜側では超音速になります(図4)。今まで、様々な流体的・MHDモデル(1あるいは2次元)が金星電離圏中のプラズマ密度や速度分布を研究するために用いられてきました。これらの研究は、夜昼間の大きな圧力差により流速が生じる事を示しています。夜間領域ではショックによって減速が起こる事が観測と理論の両面から示されています。モデルと観測値とは一般には一致しており、その例として図5に太陽活動極大時の観測および理論計算により得られた電子密度プロファイルを示します。

 

 

 

 

 


 

 

 

熱的プラズマの圧力が磁気圧とほぼ等しくなる高度では、電離圏に急激な変化が生じます。両者の和はバウショックよりも外側での太陽風の動圧に等しくなります(図3)。圧力和の条件については次の式により表現されます。

           ρu2 + p + B2/(2μ0) = constant                                                (9)

但し、ρu2は動圧、pは静圧、B2/(2μ0)は磁気圧を表します。電離圏中のこの急激な密度勾配はイオノポーズと呼ばれています。この圧力の遷移はMHDの表現ではtangential discontinuityに相当します。イオノポーズではプラズマ圧が支配的な領域から磁気圧が支配的な領域への遷移が、電離圏が磁化されていない場合ではわずか数十kmの範囲内で生じます。磁化されている場合は図3に示すように遷移はより厚い高度範囲で生じます。イオノポーズは電離圏のプラズマ圧が太陽風動圧とバランスする高度、ということを考えると太陽風や電離圏の状態に応じて変化することになります。例えば、太陽風動圧が大きくなるとイオノポーズ高度は下がりますが、実際には圧力が約4×108 dyne cm-2を超えるとそれは約300kmで落ち着いてしまいます。平均的なイオノポーズ高度は太陽直下での約350kmから太陽天頂角90度での900kmくらいまで変化します。

 

4.      夜間電離圏

金星では夜が大体58地球日(太陽は117地球日で一周)続きますが、その間電離圏は消滅すると考えられていました。理由は再結合によって失われたプラズマを埋め合わせるだけの光電子・イオンの生成がないからです。それゆえ、マリナー5号の観測をもとに最初に金星の夜側電離圏の存在が報告されたことは大変驚くべきことでした。その後の観測によってはっきりと、しかし変化の激しい夜側電離圏の存在が確かめられました。図5は観測から得られた太陽活動極大期の平均的な夜側電離圏の密度分布を示します。昼側からの対流と降下電子による衝突電離が夜側電離圏のプラズマ密度をまかないます。特定のイオン種にとっての、2つのプロセスの相対的な重要性は太陽風圧や太陽の状態により異なります(例えば太陽活動極大期は夜昼間対流が支配的)。

5に示した電子密度プロファイルはあくまで平均的なものです。夜側電離圏の密度は時間・空間的に非常に変化が激しく、PVOに搭載された観測器では電離圏を通過する連続した2つのパスの間(1周は約24時間)で密度が1桁変化することも報告されています。Disappearing ionospheres, ionospheric holes, tail rays, troughs, plasma clouds等の言葉は異なる状況下で観測された現象を表現するのに使われています。例えば図6はPVOの軌道530番で観測されたionospheric holesを示しています。ホール中に存在するラジアル方向の強い磁場はtail方向に熱プラズマが容易にエスケープ出来ることを意味します。

 

 





5.      電子・イオン温度

太陽活動極大時の、様々な太陽天頂角に対するイオン・電子温度を図7に示します。これらの温度は明らかに中性ガスの温度よりも高く、EUVによる加熱と古典的な熱伝導では説明できません(地球の中緯度電離圏と同じ)。観測値を説明するための理論としては、1)電離圏上部からのアドホックな熱入力、2)熱伝導度の減少があります。後者は下向き熱流束の減少とひいては低高度での中性粒子へのエネルギーロスの減少を引き起こします。2つのメカニズムの存在を示唆する理由はありますが、どちらがどんな時にどうして支配的になるか、を説明するのには不十分です。

 

 

PVOによるプラズマ波動の測定によればイオノポーズ付近および上空で波動強度の増大が見られ、これらの波動による電離圏への熱入力が観測されたプラズマの温度を説明するのに必要な1010 eV cm-2 s-1というエネルギーを賄える事を示しています。これについては電離圏が磁化されている状態で太陽風プラズマがドレープした磁力線に沿って尾部から電離圏に入れば観測された温度を説明できるエネルギーを供給できる、という研究もあります。この研究では電離圏中の磁場変動により熱伝導度の減少は引き起こされ、それによって観測された温度も説明可能との意見も出されています。また、従来の熱伝導係数と3×1010、3×107 eV cm-2 s-1という値の熱流入を用いた1次元モデル計算でも、観測された値に近い温度を作り出すことが出来ると報告されています(図8)。

また一方では、熱流入を仮定しなくても、磁界変動に起因する低めの熱伝導度を組込んだ一次元のモデル計算で、観測された値(図9)と一致する温度を導くことが出来ることがわかっています。図9におけるパラメーターλは仮定した磁場変動の特性長です。

電子がこれらの変動によって大きく影響されるのに対し、イオンでは影響が小さいことに注目してください。これはそれぞれのジャイロ半径の違いによるものです。高度200 km以下にある昼側のイオン温度の小さな凸部は化学反応あるいはジュール加熱過程で説明できます。

夜側のプラズマ温度をコントロールするメカニズムは良く理解されていません。昼側から夜側に向かう熱流入や移流がエネルギーを輸送する、あるいは尾部や上部からの熱入力が存在する、と言う仮説もあります。しかし、これらの過程にとってエネルギー源の果たす役割は解明されていません。

夜側ではH+イオンの温度がO+より低いことも観測されています。これはイオン−中性粒子間の衝突効果(電子の熱伝導度の場合と同様)に起因する熱伝導度の差によって引き起こされるようです。

現在、金星電離圏のエネルギー収支をコントロールするメカニズムについては明らかになっていません。金星や火星(2つの惑星には共通点が多い)に関しては更なる直接的な情報が得られない限り進展はないでしょう。少なくとも、従来のEUV加熱と熱伝導度を用いると観測された温度より低い値が得られてしまいます。問題解決のキーは新たな熱源か熱伝導度(係数)を減少させる事にあるでしょう。残念ながら、これらの有効性および2つの仮説の見極めのために必要な直接的情報が不足しています。多分両方のプロセスが役割を果たすのでしょうが、どちらがより支配的であるのかが明らかになっていないのです。予想外の他のプロセスが重要な役割を果たしている可能性さえあります。