金星の気象学

 ―惑星気象学とスーパー・ローテーション―

惑星気象学

太陽系のほとんどの惑星は大気を持っていて、それぞれの惑星で独特の風が生じています。 このあと述べるように、金星でも地球の常識では考えられない不思議な風が吹いています。 PLANET-C計画は、このような気象の解明を目指す、世界的にもユニークなプロジェクトです。

ここでは惑星スケールの風、すなわち「大気大循環」に注目します。惑星に入射する太陽エネルギーの量は赤道付近でもっとも大きくなります。 大気大循環はこの太陽のエネルギー(熱)を惑星全体に分配し、化学物質を運び、雲を発生させて気候を形成します。 後で述べるように火星の大気大循環は比較的地球に似ていると考えられていますが、そのほかの惑星では相当変わった循環も見られます。 そこで、惑星の大きさ、太陽からの距離、大気の成分などの外的条件に応じてどのように循環パターンが決まるのか、 大気の循環は惑星の進化にどう関わってきたのか、といった問題意識が芽生えてきました。 こうした背景のもとで、従来の気象学とも天文学とも異なる新しい研究分野「惑星気象学」が生まれつつあります。 惑星ごとに異なる多様な気象や異なる時代の気象を統一的に理解することが最終目標です。 そして金星は、この惑星気象学における第一級の難問を提供しているのです。 以下では金星の大気大循環の何が問題となっているのかを解説します。

金星大気の特徴

金星は大きさや重さは地球と似ていますが、惑星表面の環境は地球と大きく違っています(図1・表1)。 たとえば金星の大気は二酸化炭素(96.5%)を主成分として、あとは微量の窒素(3.5%)などです。 大気の量が大変多いため、地表面での気圧は約90気圧もあります。この圧力は深さ900mの海の底と同じです。 約45 kmから70kmの高さには濃硫酸からなる雲があります。 この雲は地球の雲と違って惑星全体を完全におおっていて、そのために外部から大気や地表面を観察することは困難です。

図1 金星の気温の高度分布

右側のスケールは対応する気圧を示す。比較のため,地表面を1気圧に合わせて地球大気の温度分布も示した。摂氏(℃)は絶対温度から273を引けばよい。

表1 地球型惑星の比較

  地球 金星 火星
赤道半径(km) 6378 6052 3397
質量(1024 kg) 5.97 4.87 0.64
地表での重力加速度(m s−2 9.78 8.87 3.72
太陽からの距離(長半径,億km) 1.50 1.08 2.28
自転周期(地球日) 1.00 243.0 1.03
公転周期(地球年) 1.00 0.615 1.88
大気主成分 窒素・酸素 二酸化炭素 (96.5%) 二酸化炭素 (95.3%)
平均地表気圧(hPa) 1013 92100 5.6
平均地表温度(℃) 17 460 -60

金星のもう1つの重要な特徴は地表面温度が460℃にも達することです。 金星は地球よりも太陽に近いため、金星に入射する太陽光は地球よりも強いのですが、それだけでは金星の高温を説明できません。 なぜなら、金星は全体が雲でおおわれており、その雲が太陽光を78%も反射するので、 実際に吸収する太陽エネルギーは地球よりもかえって小さいからです。 ちなみに地球では太陽光の30%が反射されます。金星大気が高温である原因は温室効果にあると考えられています。

近年、地球において二酸化炭素の増大による温暖化が社会問題ともなっていますが、 これは温室効果気体である二酸化炭素が増えると大気に多くの熱が保持されるというものです。 二酸化炭素は地球大気にはごく微量(0.035%)しか含まれていませんが、金星では膨大な量の大気の主成分をなしています。 これまでの観測によると、金星に入射する太陽エネルギーの大部分は雲で反射あるいは吸収され、地表で吸収されるのはほんのわずかです。 しかし、このわずかなエネルギーをもとにして、地球とは比べものにならないほど効果的に温室効果が働いているのです。 金星は二酸化炭素による温暖化の極限の姿を示していると言えます。

地球と火星の大気大循環

まず、同じく地球型惑星である地球と火星の大気大循環の特徴を見ていきましょう(図2)。 地球の熱帯地方では自転と逆方向の東風(貿易風)が卓越し、中緯度や高緯度では自転方向の西風(偏西風)です。 そして、このような東西方向の流れとともに、弱いながら南北・上下方向の流れがあり、南北半球それぞれに3つの閉じた循環に分かれます。 そのうち、低緯度のハドレー循環と高緯度の極循環は暖かい低緯度側で上昇して冷たい高緯度側で下降する自然な循環ですが、 中緯度のフェレル循環は反対方向に回転する少々不思議な流れです。 フェレル循環は地球の自転と極域−赤道間の温度差によって生じる波長数千kmの波(傾圧不安定波)にともなって引き起こされます。

図2 地球型惑星の大気大循環のイメージ

火星の自転周期は地球と同様、だいたい1地球日です。 すると、火星の大気大循環においても自転の効果が重要であり、地球と同じような風系が形成されているのでしょうか。 地球のために開発された計算機シミュレーションモデルを火星に転用して計算した結果によると、 中緯度から極地方にかけて自転方向の西風が吹くなど地球と似た特徴があります。 ただし南北・上下方向には南北半球にまたがる大きな1つの循環が発達しており、南北半球にそれぞれ3細胞の循環がある地球とは若干異なります。

金星とタイタンの大気大循環

それでは金星の大気大循環はどうなっているのでしょうか。 金星の自転周期は243地球日であり、赤道での自転速度は1.6 m/秒しかありません。大気と地面は絶えず力を及ぼしあっているので、このように自転の遅い惑星上で吹く風は自転と同程度に遅いと予想されます。 例えば地球の偏西風は30 m/秒程度ですが、これは赤道での自転速度460 m/秒の1割にも達していません。

しかし現実はこのような予想とは全く違っていました。 1974年に米国の探査機マリナー10号が連続撮影した画像によれば、 雲はどこでも自転と同じ方向に 100m/秒もの速さで流れ、約4地球日で1周していたのです(図2)。 これは大気が地面の60倍もの速さで回転していることを意味します。 金星にこのような風が吹いていることは、実はフランスのアマチュア天文家が1957年に先に発見していたそうです。 しかし同じころ地上からのレーダー観測によって金星の自転速度が大変遅いことがわかったため、 4日で1周する風などありえないと決め付けられて、長らく無視されていたということです。

この不思議な風は「スーパーローテーション(超回転)」とか「4日循環」とか呼ばれています。 その後着陸機が大気中を降下しながら観測したところ、風は高度65 kmくらいまで高さと共に強くなっています(図3)。 大気には粘性(ねばっこさ)があり、地面との間で摩擦が働くので、特別なしくみが働かないかぎりこのような風の分布は徐々に均されてしまい、 最終的には自転速度と大差ない風速に落ち着くはずです。 地球を基準に考えると大変不思議な風です。

図3 米国とロシアのプローブ投下により測られた金星の東風の高度分布(Schubert, 1983)

スーパーローテーションは土星の衛星タイタンでも生じていることがボイジャー1号やホイヘンス着陸機などによる観測から分かってきました。 タイタンは1.5気圧の窒素の大気を持ち、金星と違って極寒の世界ですが、 周期16地球日の自転の10倍の速さの自転方向の風が上空では吹いているらしいのです。 宇宙全体で見ればスーパーローテーションはありふれた大気循環の一つと考えたほうが良さそうです。

なお、金星大気が南北や上下方向にどのように循環しているのかは分かっていません。 雲層と地表面という2つの高度で太陽光による加熱がある金星では、 地球のハドレー循環のような循環がそれぞれの高度で別々に生じて積み重なっている、という予想もあります。 地表近くの濃密な大気は、地球の海洋のように何十年もかけてゆっくりと循環しているかもしれません。

謎の解明のために

スーパーローテーションの発見以来、それを理論的に説明しようと多くの気象学者が努力を傾けてきました(図4)。 スーパーローテーションは外部からの力で引き起こされるわけではなく、大気内部の流体力学、 すなわち気象力学で説明できるだろうというのが気象学者の一致した見解です。有望そうな仮説としては、 (1)ハドレー循環と水平方向に伝わる波との組み合わせにより大気が加速される、 (2)雲層が太陽光で加熱されるために励起される波が上下に伝わって大気を加速する、 (3)低高度で励起されて上向きに伝わる波が大気を加速する、などがあります。 しかし数値シミュレーションによる再現はうまくいっておらず、どれも決め手を欠いています。 地球-火星型と金星-タイタン型のどちらの大気循環になるかを決める要因は、まだよくわかっていないのです。

図4 スーパーローテーションのメカニズムの3とおりの考え方

(左)ハドレー循環による角運動量輸送と波や乱流による南北方向の角運動量輸送が合わさって上向きに角運動量を運び、赤道域の加速をもたらす。

(中央)太陽光が周期的に雲層を加熱することによって励起される熱潮汐波が、上下に伝わって角運動量を運び、反動で雲層付近の大気を加速する。

(右)低高度の大気中で励起されて上向きに伝播する大気重力波が角運動量を運び、上空の大気を加速する。

スーパーローテーションは意外と身近なところにも隠れているかもしれません。 大気中には自転方向に加速する要因もあれば逆方向に加速する要因もあり、現実の風速分布は様々な力の足し合わせの結果です。 地球においても少し条件が変われば熱帯地方で自転方向の加速が優勢になり、 全ての緯度で自転方向の風(西風)が生じうる、という計算結果があります。これもスーパーローテーションの一種と言えます。 金星気象を理解できれば、地球気象が現在のような姿でなければならない理由がもっとよくわかるでしょう。

金星気象の理解が遅れている理由は、何と言っても観測データが限られていることです。 地球気象学の発展の歴史をひもとけば、理論の発展の前には必ず観測による現象の把握がありました。 まずはどのような流体波動や南北・上下方向の循環があるのかを知る必要があります。 これまでに金星に送り込まれた探査機にはそのような気象観測に適したものがなく、 特に雲頂以下の気象現象に関しては何も知られていないと言って過言ではありません。 着陸機が降下中に風や温度の計測をしていますが、それだけでは波動や循環の3次元構造がわからないのです。 日本が送り出すプラネットCは、この問題に新たなアプローチで挑む金星版の気象衛星です。

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