大気散逸メカニズムの解明と流出量の観測

金星大気と外部惑星間空間とのつながりを理解する上では上層および外圏大気(>100km)における粒子の運動を解明することが必要不可欠です。この領域における中性大気および電離大気粒子の運動を真に理解することは、宇宙空間へと開いた系である惑星大気の変遷を議論する上で必須であると同時に、特に金星大気の進化・組成の長期的な変遷といった観点からは上層大気から惑星間空間へと流出する中性大気・電離大気の散逸過程を理解する事と散逸量を正確に把握する事が重要な課題となります。ここでは金星上層大気と電離大気に関する重要な研究課題である大気散逸の問題について述べることにします。

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1.科学的背景

「金星と地球では大気をつなぎとめる重力がほとんど等しいにも関わらず、大気環境は何故こんなに違うのだろう?」、という疑問は惑星大気を研究する人にとって最も単純でかつ最も難しい問題でしょう。下の表に示すように、例えば地表面付近の大気圧で比べると金星は地球の約2桁も大きく、大気組成に関しては地球では窒素と酸素が主な構成要素であるのに対して、金星では二酸化炭素が96%を占めています。地球上には豊富に水が存在するのに金星では水蒸気がごく僅かしか見つかっていないのも大きな違いです。さらに、DとHの同位対比に関してもおよそ2桁の差が見られます。質量や大きさ、太陽からの距離がかなり似通った二つの惑星がこのように極端に異なる大気組成をもつのは如何なる惑星の歴史に起因するのでしょうか。

表 惑星の大気圧と組成(単位:%以外は全てppm)

惑星 気圧 (bars) CO2 (%) N2 (%) He Ne Ar 36Ar Kr Xe H2O D/H
金星 92 96.5 3.5 ~12 7 70 35 0.05 <0.04 ~120 0.022
地球 1.013 0.0033 78 5.2 18.2 9340 31 1.14 0.087 ≦ 3% 1.5×10(-4)

惑星形成の初期の段階で二つの惑星が同じような大気組成で成り立っていたと仮定すると、現在の組成の違いは惑星形成後の長期的変遷の結果として生じたものと考えられます。大気組成の変遷に対しては、惑星大気上層部からの粒子の散逸がひとつの重要な影響をもっているであろう事が既に数多くの理論的な論文で推測されています。惑星進化の初期の段階では、高温の大気を所有していた地球と金星に大規模な熱的大気散逸現象が存在したであろうことはほぼ間違いないと予想されています。現在の金星は固有磁場をもたず濃い大気とプラズマを有するので光化学反応に起因する非熱的散逸と太陽風との直接相互作用による大気散逸が顕著であると考えられています。金星は惑星大気進化の過程を我々に提供してくれる、この類の研究に最適の惑星であり、比較惑星学的な見地からも絶好の対象であると言えます。

2.観測の目的および科学的意義

このような背景に対して、我々は金星から流出する中性大気および電離大気の散逸過程の解明する事、およびこれらの流出量を観測的に実証する事が、上の疑問に答えるための最も確実な方法であると考えています。金星の上層大気・電離大気における粒子のダイナミクスを詳しく理解することは、固有磁場をもたず自転の遅い惑星の上層大気における力学を普遍的に理解する上で極めて重要です。金星電離圏のプラズマの運動に関してはPioneer Venus Orbiter (PVO)が長期にわたって観測を行なったために、既に解明されているとの印象がもたれがちです。しかし、PVOは熱的プラズマの基本的パラメータである温度と密度については定常的な観測を実施したのですが、粒子散逸量の推定に有効な速度ベクトルについての情報をほとんど提供しませんでした。また、上層大気の最も重要な構成要素である中性粒子に関しては、その組成と密度について測定を行ったのですが運動を特徴づける風向風速に関する観測を行わなかったため、中性大気の運動について詳細な議論を展開する事が出来ませんでした。このため、金星上層大気における中性・電離大気の流出や質量・運動量輸送過程についての重要かつ基本的な問題は全く未解明の状態にあります。

3.散逸プロセスと定量的観測の重要性

一般に惑星大気から外部へ流出する粒子の散逸現象としては中性大気、電離大気、それぞれに特有の流出過程があって、流出エネルギーに関してもジーンズが唱えた古典的な熱的散逸モデルからチェンバレンやハンテンによる非熱的散逸モデルまで千差万別です。惑星大気の変遷を理解するために重要なプロセスとして大気散逸過程は理論的に研究されてきましたが、惑星大気の変化・変遷や惑星環境の変化さらに太陽系生成過程の研究を主目的とした探査は未だ実施されていません

金星大気粒子の散逸プロセスについての真の理解のためには、熱圏、電離圏の高度において中性大気と電離大気の運動を粒子・波動・光学計測手法を用いて多角的に観測することが必要です。このうち中性および荷電粒子計測からは局所的な空間での粒子散逸量を直接推定する事が可能です。さらにプラズマ波動や磁場計測のデータを加味すると粒子散逸を引き起こすための加速過程の本質に迫ることが出来ます。また、光学的リモートセンシングの手法は金星上層部における中性・電離大気の全球的な密度分布を瞬時に測定することを可能にし、その時間的な変化からは大規模スケールでの粒子散逸の様子を把握することが出来ます。

粒子散逸量は太陽輻射量や太陽風プラズマ等の外部の条件に強く依存します。一方で惑星大気進化に用いられるような時間スケール(〜108年)の中では太陽活動度は大きく変化することが予想されます。したがって観測を通して、粒子散逸過程と流出量について太陽輻射や太陽風等の外部条件に対する依存性が明らかになれば、より長い時間スケールでの粒子散逸量の推定のために非常に貴重な情報になるとともに、惑星大気の進化と変遷に関する議論について極めて重要なデータを提供することになります。

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